いつも当ブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。
大変ありがたいことに、全国から多くの筆跡鑑定のご依頼・ご相談をいただき、日々の業務に邁進しておりましたところ、気がつけば前回の更新から1年以上もの月日が流れておりました。久しぶりの更新となってしまいましたが、今後はまた皆様のお役に立てる情報を定期的にお届けしてまいります。
さて、皆様は「韜晦(とうかい)」という言葉をご存じでしょうか? 日常生活ではあまり耳にすることがないかもしれませんが、本日は「韜晦筆跡(とうかいひっせき)」についてお話ししたいと思います。
韜晦筆跡とは
「韜晦」には、“自分の本心・才能・地位・身分・行為などをごまかし、隠すこと”という意味があります。つまり「韜晦筆跡」とは、“自分の筆跡の癖や特徴を意図的に隠して書いた文字”のことです。
当センターで扱う頻度の高い筆跡資料は「自筆証書遺言」です。そこにある筆跡が「本人のもの(真筆)」か、あるいは「他人が真似て書いたもの(模倣筆跡)」であるかを鑑定するのが一般的です(稀に、真似た痕跡すら残さない大胆な偽筆もあります)。 しかし時には、筆者本人が普段とは書き方を変えて、自分の筆跡特徴を消して書いた「韜晦筆跡」の鑑定に直面することもあります。
具体的なトラブルの事例は
先述の通り、当センターでは模倣筆跡の鑑定依頼が大半を占めますが、韜晦筆跡の調査依頼も少なからず存在します。例えば、契約書などの署名でこの韜晦筆跡が明らかになるケースです。
かつて、このような事案がございました。ある人物が、複数の関係者の目の前で書類に署名をしました。その場にいた全員が「本人が確実に署名した」と確認していたにもかかわらず、後になってその人物は「自分はこれを書いていない。他人が書いた偽物だ」と主張し始めたのです。
これは、その筆者があらかじめ計画的に(あるいは何らかの事情が生じた際、言い逃れができるように)、のちに「自分は書いていない」と主張しやすいよう、意図的に普段とは異なる筆跡で署名していたものでした。 その他にも、自身の筆跡特徴を出さないように書かれた抗議文(怪文書)や、町内会で回覧する確認書に韜晦筆跡が認められた事案などもございました。
強く記憶に残っている事案
義妹への疑念と、見積もりの依頼
ある日、一般の方から「怪文書の筆跡鑑定をしてほしい」とお電話で問い合わせが入りました。鑑定の見積もりを希望とのことでしたので経緯を伺うと、自宅のポストに何度も怪文書が届いて困っている、とのこと。さらにお話を伺うと、その怪文書はご自身と折り合いの悪い義妹(弟の妻)の仕業に違いないと、強く主張されていました。
まずは事前調査とお見積りのため、郵送にて(当時は電子メールよりも郵送でのご依頼が主流でした)資料をお送りいただくことになりました。
届いた封筒に遺された「共通の痕跡」
後日、資料が届き中身を確認したところ、問題の怪文書が入っていました。そして、何気なくその封筒の「表書き(宛名)」に目を向けた瞬間、私は言葉を失いました。なんと、怪文書の文字と、封筒の表書きの文字に、共通する筆跡特徴が見つかったのです。
言い換えれば、「これは義妹の仕業だ」と主張しているお電話の主(差出人)自身の筆跡と、怪文書の筆跡が一致する可能性が浮上したのです。一瞬混乱しましたが、不要なトラブルを避けるため、正式な鑑定のご依頼をいただく前に、お見積もりを兼ねて事前に少しだけ調査を行ってみることにいたしました。
「模倣」と「韜晦」が混在した難解な罠
その結果、怪文書はやはり義妹の筆跡ではなく、封筒の表書き(お電話の主)の筆跡特徴と一致しました。
なぜ一見、怪文書が義妹の文字に似ているように思えたのか。それは、怪文書が「義妹の筆跡に似せて書かれた模倣筆跡」であったことに加え、さらに事態を複雑にするため、送付用の封筒の文字を「自身の癖を消して(利き手とは逆の手で)書いた韜晦筆跡」にしていたからでした。
一つの案件の中に「模倣」と「韜晦」の要素が混在し、しかもその筆者が同一人物であるというケースは極めて稀です。長年鑑定に携わっている私どもでも、これほど複雑で周到なものは滅多にありません。
その後、資料到着の報告を兼ねて、怪文書と義妹の筆跡について、事前に少しだけ行ってみた調査で判明した点をお電話にてお伝えしました。通話の冒頭、お相手は強い口調で否定されていましたが、徐々に察しがついた様子で、最終的に正式な筆跡鑑定の依頼には至りませんでした。
もし強引に鑑定を進めたとしても、結果が変わることはありません。仮に封筒の筆跡がなかったとしても、怪文書と義妹の筆跡特徴が一致しない(=義妹の犯行ではない)という事実は明白だからです。
最後に
「この案件は、正式なご依頼に至らなかったため事なきを得ましたが、「あの後、懲りずに他の鑑定機関に相談しているのではないか」と、今でも気になる事案です。
犯罪等への悪用を防止するため、具体的な「韜晦筆跡の見破り方」をここでお伝えすることはできません。しかし、筆跡鑑定には対象が真筆か偽筆かを解き明かす科学的な手法が多数存在します。今回の事案のように、意図的に隠した韜晦筆跡や、巧妙な模倣筆跡であっても、専門的な調査を行えば必ず明らかになります。
過去には、詐欺グループと思われる組織から筆跡鑑定の依頼が入り、その目論見を未未に防いだというケースもありましたが……そのお話はまた別の機会に。
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※本記事で紹介した事例は、実際の事案をベースに、関係者のプライバシー保護および守秘義務遵守のため、事実関係の一部を改変・一般化して記載しております。
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